東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)166号 判決 1966年4月19日
原告 テムレル・ウェルケ・フェルアイニクテ・ヘミシェ・ファブリーケン
被告 特許庁長官
主文
昭和三六年抗告審判第二、五一七号事件について、特許庁が昭和三八年七月一二日にした審決を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一、請求の趣旨
主文同旨の判決を求める。
第二、請求の原因
一、原告は、昭和三三年五月二六日に発明の名称「生理学的活性アミン類」について特許出願をし(昭和三三年特許願第一四、五四八号事件)、その後同年一一月二二日意見書並びに訂正書を提出し、発明の名称を「食慾減少剤の製造方法」と訂正するとともに特許請求の範囲を訂正したが、昭和三六年五月二四日拒絶査定を受けた。原告は、これを不服として、同年八月二九日抗告審判の請求をし(昭和三六年抗告審判第二、五一七号事件)、同年一一月一一日理由補充書並びに訂正書を差出し、明細書を訂正したところ、特許庁は昭和三八年七月一二日に「本件抗告審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年七月三〇日原告に送達され、その訴の提起期間は特許庁長官の職権により同年一一月三〇日まで延長された。
二、本願発明の要旨は、「式中のAmは、アルキル基が等しいか、又は異なつていてもよく、そして2ないし5個の炭素原子からなつているアルキルであるジアルキル置換のアミノ基又はアミンの窒素原子が5又は6員環の成分である複素環アミンを表わしている次の一般式<化学式省略>を有する化合物の食慾減少剤の製造方法においてα―ハロゲンプロピオフエノンを水及び実験室では普通の他の溶媒を用いることなく上記の意味のAmを含む式H―Amの第二アミンと置換し、そして得られた塩基を毒性のない酸の塩に変えることを特徴とする方法」にある。
三、本件審決の理由の要旨は、本願発明の製造方法はバイルシユタインス・ハンドブーフ・デル・オルガニツシエン・ヘミー第一四巻第二補遺(以下「引用文献」という。)三八頁記載の公知の技術内容(以下「引用方法」という。)から当業者の容易に推考できる程度のもので、旧特許法第一条の発明と認められない。すなわち、引用方法のアミン成分であるモノエチル置換アミンを本願発明方法のアミン成分であるジエチルアミンに置き換えた場合、両者のアミンは極めて近縁の同族体であるから、この場合の両者の反応機構及びその条件等において両者間に格別の差異があるものと認め難く、したがつて、引用方法のアミン成分を本願発明方法のアミン成分に置き換えて相当するジエチル置換体を製造する点が特に発明力を必要とする程度の事項とは認め難い。また、α―ブロムケトンとアミンとの反応は非常に激しいものであるため、一般に不活性溶媒中で冷却下において行なわれるものであり、本願発明方法においてこれを特に水及びその他の溶媒を使用しない条件の下で行なう場合に顕著な効果を奏するものとは認められないから、この点においても本願発明が格別発明を構成するものとは解し難い。なお、また本願発明によつて製造されるα―ジアルキルアミノプロピオフエノンを食慾減少剤として医療に供する発明は、旧特許法第三条第二号の規定により特許することができない、というのである。
四、しかしながら、審決は次の理由により違法であり、取り消されるべきものである。すなわち、
本願発明方法は、前記発明の要旨のとおりα―アミノプロピオフエノンの製造方法に係り、右方法は溶媒を使用しないでハロゲンプロピオフエノンと相当するジアルキルアミンとを反応せしめることにより行なうに対し、引用方法においては、この場合溶剤を使用して操作する点において相違し、かつ、その結果、効果の点において両者間に顕著な差異があるにかかわらず、審決はこの点を誤認してされたものである。これを詳述するに、
(一) 引用文献にはα―モノエチルアミノ―プロピオフエノンとα―ジエチルアミノ―プロピオフエノンとを掲記し、前者がα―ブローム―プロピオフエノンと水性エチルアミンとを反応させて得られることに言及しているだけであるが、上記二つのα―アミノ―プロピオフエノンがいずれも同一方法により製造されることは明らかである。しかし、引用文献及び引用文献に挙げられたアメリカン・ケミカル・ソサイテイ―第五〇巻(一九二八号)第二、二九一頁中のハイデ等の論文によるハロゲンケトンをミノケトンにアミノ化する公知の方法においては、すべての反応を溶剤の存在下において行なうものであり、このことはハイデ等の報告第二二九〇頁下から第一〇行目に「メチルよりも大なる基が窒素に結合せるアルキルアミノケトンを製造するために僅かに異なる方法が使用された。アミンの五〇パーセント水溶液・・・・・・」との一般的な記載があることから明らかであるところ、本願方法はこの公知の方法と異なり、ハロゲンケトンとアミンとの反応を溶剤の不在下において行なうもので、これによりハロゲンケトンとアミンとの反応は、特殊な効果を奏する。この場合、本願の明細書の実施例中に挙げられたハロゲンケトン対アミンの量割合は看過されえないものである。本願方法による最終生成物は、後記(二)のとおり引用方法による場合と異なり、それ以上の精製行程を必要としない程純粋であり、しかも、極めて高い収率が得られる。なお、本願方法による高い収率については、実施例により、審査及び審判の過程を通じ屡々言及したが、審査及び審判手続においていずれも顧慮されなかつたものである。
(二) これに対し、引用方法のように溶媒、たとえば水又はエタノールを使用した場合には、両溶媒においてヒドロキシル基は極めて容易にプロトンとして解離されうる水素原子を有し、したがつて、両溶媒は第一級又は第二級アミンが同時に存在する場合、これらのアミンと競争してα―ヒドロキシルケトン及び他の類似の化合物を形成しつつα―ハロゲンプロピオフエノンと反応する能力を有し、これら化合物はまた極めて反応性であつて、存在するアルカリ性媒体中でさらに変化を受けるから、広範囲において副反応が起こり、これらの副反応により本来得らるべき反応生成物より分離困難な不純化された一部樹脂状の生成物が生成し、このため最後には収率が著しく低下する。このことは、ハイデ等が水を溶媒として使用した場合に、α―ジエチルアミノ―プロピオフエノン二五パーセントを得たのに対し、本願方法によれば、α―ジエチルアミノープロピオフエノンの場合八〇パーセントの収率があり、また、α―ジプロピルアミノプロピオフエノン及びα―ピロリジノプロピオフエノンの製造の場合いずれも八〇パーセントの収率があることから明らかである。また、公知の方法により溶媒を使用して操作する場合に、溶媒の使用に比較的高い費用を伴うことも看過しえないことであり、このことはアミノケトンの多量生産の場合には益益是認されることであるし、溶媒の一〇〇パーセントの回収が不可能であり、大きな損失の下でのみ可能であることからも理由づけられる。かように、公知の方法によるアミノ化の大規模な実施に際しては、極めて多量の溶媒並びに広大な回収設備を必要とし、そのために最終生成物の製造費用は著しく高められる。これに比し、本願方法が実験室においてだけでなく、アミノケトンの大規模な製造に対しても優れていることは、前叙のところから明らかである。
(三) これを要するに、本願発明により得られる化合物の高い収率及び純度は驚異に値するものであり、出願時の技術水準から予知しえない新規なものであるばかりでなく、著しい工業的進歩を伴い技術を著しく富化するものである。
五、以上のとおり、本件審決は違法であるから、これが取消しを求める。
第三、被告の答弁
一、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求める。
二、請求原因第一項ないし第三項の事実は、争わない。
三、同第四項の点は争う。
本願方法が引用方法に比し収率が極めて高いとの点は、知らない。なお、原告が本件審決時において存在しなかつた、しかも特定な実験を行なうことによつてのみ認知しうるような効果を立証する証拠に基づいて審決の不当性を論ずることには賛成することができない。
第四、証拠<省略>
理由
一、請求原因第一項及び第三項の事実は、当事者間に争いがない。
二、右当事者間に争いのない事実及び成立に争いのない甲第八号証の三(昭和三六年一一月一一日付の訂正明細書)の記載を総合すると、原告の出願に係る本件発明は、「食慾減少剤の製造方法」に係り、その発明の要旨は、「式中のAmは、アルキル基が等しいか又は異なつていてもよく、そして2ないし5個の炭素原子からなつているアルキルであるジアルキル置換のアミノ基又はアミンの窒素原子が5又は6員環の成分である複素環アミンを表わしている次の一般式<化学式省略>を有する化合物の食慾減少剤の製造方法において、α―ハロゲンプロピオフエノンを水及び実験室では普通の他の溶媒を用いることなく上記の意味のAmを含む式H―Amの第二アミンと置換し、そして得られた塩基を毒性のない酸の塩に変えることを特徴とする方法」にあることを認めることができる。
三、一方前記当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第四号証の一、二によれば、引用文献は一九五一年の発行に係り、昭和二七年二月七日特許庁図書館に受け入れられたものであるところ、その第三八頁第五行目から第八行目には、α―エチルアミノープロピオフエノン(C11H15ON=C6H5・CO・CH(CH3)・NH・C2H5)について、α―ブロムープロピオフエノンを二モルの五〇パーセントのエチルアミン水溶液で五ないし一〇度で処理する際に生成されることが記載され、そこにハイデ等の名が挙げられており、また、これに続いて同頁第九行目から第一一行目までにα―ジエチルアミノープロピオフエノン(C13H19ON=C6H5・CO・CH(CH3)・N(C2H5)2)について上掲の場合を類推すべき旨記載され、同じくハイデ等の名が挙げられていることを認めることができるから、引用文献のこれらの記載は、α―ジエチルアミノープロピオフエノンがα―エチルアミノープロピオフエノンの製造の場合のアミン成分であるモノエチル置換アミンをジエチル置換アミンに置き換えるほかは、前掲α―エチルアミノープロピオフエノンと同一の方法により製造されうるものであることを示したものであること明らかである(なお、この点は、原告の認めて争わないところである。)。
四、そこで、本願発明方法によるα―アミノプロピオフエノン誘導体の製法と引用方法とを対比するに、前者の方法においてはα―ハロゲンプロピオフエノンとアルキルアミンとの反応を溶媒を使用しないで行なわしめるのに対し、後者の方法においては、右の反応を溶媒としての水の存在下において行なわしめる点で明らかに相違するが、その余の点では一致するものということができる。
原告は、本願方法は右認定のように引用方法と異なり、溶媒を用いないことにより、引用方法に比し極めて高い収率をあげうる旨主張するから審究するに、成立に争いのない甲第一〇号証によると、引用文献に挙げられたハイデ等の前記方法によりα―ブロムープロピオフエノン(一モル)とジエチルアミン(二、五モル)とを水を溶媒として、反応せしめた場合におけるα―アミノプロピオフエノン―ハイドロクロライドの収率は、本願方法による場合が引用方法による場合に比し約三倍以上も高いこと、また、引用方法において溶媒としてイソプロパノール、クロロフオルム、ベンゾール等を用いた場合においても溶媒を用いない本願方法による場合の方が約二倍以上の収率をあげうることを認めることができ、この認定を覆すに足る証拠は全くない(なお、収率が極めて高いことは、前掲甲第八号証の二の本願発明の明細書中に実施例として明示されている。)。
叙上認定のとおり本願発明はα―ハロゲンプロピオフエノンとジアルキルアミンとを溶剤を用いないで反応せしめる点において引用方法と製法を異にするのであるが、審決も指摘しているとおりα―プロムプロピオフエノンとモノあるいはジアルキルアミンとの反応は非常に激しいものであるため一般に不活性溶媒中で冷却下において行なわれるものである点に徴すれば、本願方法における上記の相違点は特異なものというべく、かつ、これにより公知の方法に比し極めて高い収率をあげうること前記認定のとおりである以上、本願方法をもつて、引用方法から容易に推考することができ、発明を構成しないものと断ずることはできない。
被告は、原告が審決時において存在しなかつた証拠を本訴において新たに提出し、これに基づいて審決の不当性を主張することを論難するが、審決に対する訴訟においては審決が理由とした事実の有無について新たな証拠を提出しうることは論ずるまでもないところであり、成立に争いのない甲第八号証の一及び同第九号証によると、本件審決が本願方法は溶媒を使用しないことにより公知の方法よりも高い収率をあげうるとの原告の主張事実を排斥して審決したものであることは明らかなところであるから、原告が審決のこの点の事実誤認を主張して本件訴訟において新たな証拠を提出することは何ら不当なものということはできない。したがつて、被告の右主張は採用の限りでない。
五、右のとおりである以上、本願発明が引用方法から容易に推考できる程度のものであり、また、引用方法に比し格別顕著な効果を奏しえないもので、旧特許法第一条の発明を構成しないものとした本件審決(なお、審決は、附加的に旧特許法第三条第二号の規定を摘示し、これに言及しているが、本願発明が旧特許法第三条第二号に規定する医薬又はその調合法についての発明でないことは、前記認定の発明の要旨に照らして明白である。)は、その判断を誤つた違法なものというべきであるから、これが取消しを求める原告の本訴請求は理由があり、これを認容すべきものである。
よつて、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 福島逸雄 荒木秀一 武居二郎)